みちくさ-10

 
l神々の世紀
 

 以前邪馬台国を探して文献を漁ったことがありましたが 日本の成り立ちの秘密は 大国主伝説(出雲神話、出雲の国風土記)を分析してみなければ解明できないんじゃないかと思うようになり 今回は伝説と考古学から 思い込みでデーターをまとめてみました。

    3世紀前半 邪馬台国と同時代に山陰・北陸にかけて 四隅突出型古墳、山陰・近畿・岡山・東海にかけての銅鐸圈が ほぼ共存していたものを 後半にはいきなり 若狭から侵出した東海の前方後方墳が北陸に出現、 時をおかず近畿の前方後円墳が出現していますが この頃 前方後円墳に代表される勢力は 吉備・伯耆・石見と 出雲を  圧迫するように出現し 僅かの間に 西は大分県迄広がり 箸墓を分岐点として古墳時代が始まっています。

 そして 古墳時代以前は弥生後期とだけ記され 先人の業績は神々の伝説としてしか伝わっていません。


 
 (’18.09.06 更新 A-4 5ページ )
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蓼食う虫-113

注目を浴びないものたち
 
まんじゅう怖い
 
 単身赴任のお影で母子家庭に陥り 保育園の待機児童持ちの家庭で 子供の世話を経費持ちで仰せつかり  長野県迄でかけてきました。
 なにせ 香辛料ばったりの酒の肴しか作らない私めが 一歳児の口に合う食べ物を作るんですから、やることは 只一つ、まだ 物が言えないのを良いことに 毎日同じものを3週間・・・・・・・・  やはり 文句も言わず 素直に食ってくれること、 腹がへるのが ごちそうを食べる最高の方法ときたもんだ。
 ところが 安心した奥さん 渡した財布の20万円が 一週間で空っぽ、 「なくなっちゃった!!」、「 いや 意味わかんない、 俺は年金暮らしなんだぞ。」 と言えば  「良いじゃん もしかして 一年早く死ぬかも しれないし。」 、  ン!  そりゃ そうかも 使えるうちに使っとこうか と 納得する自分が居るから これが面白い、  マァ 多少のストレス解消になったかなと思えば 金も使い様と言うもの。
 
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庵の松
 安曇野市明科の小さな店で見つけた絶品、 普段甘いお菓子や饅頭は食べないのですが この和菓子は 中にキンカンがまるごと一個入っていて 風味が最高なので やみつきになっています。
 小さなお店で おじいちゃんが手間をかけて 少しづつ作ってるんですが これは おじいちゃんが亡くなる前に食べて・語り広めて・受け継いでもらいたいものです。
                (お店の地図とストリートビュー)
 
 4月4日は 静岡で桜えび漁が解禁、 漁港でエビを買って 手づかみで丼に乗せて食べたかったのですが こんなところにいては身も財布も持たないとばかりに さっさと脱出、 帰りがけに大井川に寄って 蓬莱橋へ、 今でこそコンクリの支柱ですが この河原に松杭を打ち 何度も流されながら維持してきた先人の苦労を偲んで帰りました。
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                                             (流れ橋も検索してみてくださいね)

 最近 アメリカのトランプ大統領は ユダヤ教徒の身内のために イスラエル大使館をエルサレムに移動しちゃうなんて暴挙を行いましたが あの地域にはもともと多くのユダヤ教徒イスラム教徒・南方キリスト教徒が共存しており なんの問題もなく平和に暮らしていたものを ヨーロッパのキリスト教が作り出したユダヤ人なるものが突然押し寄せて来たせいで混乱が生じていることは ほとんど知られていません、 まあ 一番ビックリしたのは 現地に住んでいたユダヤ教徒で 彼らは今でもイスラエル国内で 貧民としての待遇しか与えられていません。
 また この地域に住んでいるイスラム教徒に対して 静かにホロコースト民族浄化)が行われていることにも 世界は目をそむけたまま、 ヨルダン川西岸については いつの間にかイスラエル領となった地図がニュースに流れ 人ばかりか国さえも消し去ろうとしていますが かの 良識あるBBCNHKでさえ取り上げないのが今の正義と 報道しない自由なんですかね。  
 久しぶりに 愚痴をこぼせたのは良いけれど
     「そんなにいいいことが言えるんだから
       四畳半にゴロゴロしてないで  さっさと大統領にでも立候補したら?」
                                                                          な~んて 声が 。 
 
 
 
 

みちくさ-9

仏教史
 

心の静寂を見つける試み

 

 大雑把言って2500年前というのは 世界が食うに困らない程度に安定し 思考が自立を始めた時期に見える 人類の思考の画期だと言って良さそうな気がします、例えば、中国では孔子、インドではブッダギリシャではソクラテス、そして旧約聖書の成立など この時代以降 文字に残された思考は今に受け継がれて 哲学の重要な部分を締めているのです。

 言葉は人類そのものです 体力的に斯くも劣るホモサピエンス・サピエンスが 過酷な自然や屈強なネアンデルタール人に対抗して生き残ったのは 言葉によりイメージを共有する能力を最大限に発揮した結果 集団としての種族維持に成功してきたからにほかなりません、そして思考は言葉を媒介として成長し 集団の遺産として継承されて来ました。

 こうして継承された思想の中に 私にとって とても判りにくかった仏教があります、仏教のわかりにくさは 多民族国家故に規格化の進んだローマによって制定されたキリスト教のカノンとは異なり 釈迦が臨終の遺言で自燈明・法灯明を掲げ 各自研鑽せよと言い残したことにあるのと 後に記された思想がインド的印象表現によっているため 何が言いたかったのかを知るためには 原典の他に思想史として全体を捉える必要があるためです。 

 本来の仏教は 多くの神様にご利益を願うものではなく 個人が心の静寂たる悟りを得ることを目的として修行することで 悟りの本質こそ問い詰められるべきものなのですが 仏教史を見ると 悟りへ導くための手段として あらゆる試みを行い 分化・融合を重ね 地域に根づいてきた結果 本質をわからなくしている部分があります。

 釈迦の主張は明快に言い尽くされていますが これを人格にまで高めなければ悟りに至ったと言えないところに困難さがあるようで、江戸時代に盤珪という方が 死ぬ寸前迄突き詰めた修行で悟った奥義を「一切は不生で整う」 「わかってみれば簡単なことよ。」 と おっしゃっていますが 「下手に学問をした者には喉を通りにくいようで むしろ そこいらのお百姓さん達のほうが ストンと受け入れてくれる。」 とも おっしゃっていますが 苦しい修行をやめた弟子の中から偉大な後継者が出たという話も聞きませんから 修業を忘れた僧は知識と悟りの違いも区別できず 法事の格式を受け継ぐだけの唯の職業、 ましてや 我々が現代の雑踏の中で心の静寂を得るのは 至難の極みに見受けます。 

 アマゾンにピダハンという少数民族がいます この民族には区別を表す言葉が存在せず 過去や未来を表す言葉もないため 彼らには 今・この瞬間しか存在していません、このため 過去に後悔することも未来を心配をすることもなく、現在だけをありのままに受け入れて、常にリラックスした状態で生活をしているというのです。

 伝道師であったダニエル・エヴェレットは 彼らと生活しながら暮らしていましたが 今しかない彼らには 神を必要とする要素自体が存在せず 彼らが宗教などなくても既に幸せだということに気がつき 信仰していたキリスト教を捨て、彼らの存在の秘密が言葉にあると観て 言語学者になってしまいました。

 同級生にケアマネージャーがいますが 時々話を聞くに、 引きこもりも 家庭内暴力も 鬱も お互いの主語が「私」しかないことに気が付きます、 自分の子供の成長を見守っていると 教育環境が人として育てていくのであって 人は生まれながら人であるわけではなく 人になる要素を持って生まれて来るんだと思うことがあります、 例えば 生まれてすぐ狼に育てられた子供は ある成長時期を過ぎると 不可逆的に人としての共同生活を送ることができなくなることが報告されていますが これらことがらから 私には絶対的な個人の人格という存在を見出すことはできず ここに 空と如に帰結した釈迦の思想が改めて価値を持つことになりました。

 現代物理学が説明する空間の構成には 個人の情報だけがキープされる場所は計測されていません、もし神が全能で この宇宙を総べる存在であれば その膨大な情報量は大きなエネルギーとして保存されていなければなりませんが それも見いだされていません、それなら 私達は何なのかと問いかけられれば 個人であり 存在の一部であり 存在そのものであり この世界の進化そのものと答えるのがやっとのこと、しかしながら 少なくとも 現在の空間と物質はDNAを作るために調和しており 人類が最も複雑な構成の先頭付近に居ることは間違いなさそうです。

 ともあれ 心の静寂を求めた仏教が 世界の構成を空と覚え その一瞬を如と捉えた達観は 発達した現代科学でも超えることのできない 不動の地位を保っていることに変わりはないでしょう。

 

   仏教史を これ以上小さくできないほどにまとめてみました、

    これに一言を加えると 急に膨大になり手に負えなくなりそうなので 作業を中断しています。

 

   仏教を紐解くときの資料として使っていただければ幸いです。

 

 
ブログではちょっと小さいですが A-4のまま貼り付けています 
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 (18.09.04 修正   A-4 2ページ )
 
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蓼食う虫-112

桜の季節に出盛りの楽しみ
 
ガッツリが醍醐味
 
 4月の上旬に 雪の長野を出発して南下しましたが 木曾谷あたりからちらほら桜を見かけ、名古屋は満開、家についたときは桜吹雪の中でした。
 私は色弱なもんですから 染井吉野の薄いピンクが見えにくいので ”今年の色は”
とか、 ”写真であのピンクをどう見せるかが・・・・・・・” などと こだわりの話は相槌が打てなくて弱ったものです。
 ところで この季節 かのウリジナルの国では あれは済州島の王桜が期限 だとか 桜の文化は我が国発祥であることを世界に発信しよう などと 相変わらずのネットの書き込み、 困った国だと娘に話したら いきなり大笑い、 「あそこらしいわ~」ですと、 若い人には相手にするのも馬鹿らしい国の一つみたいです。
 
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わけぎとアサリのヌタ
  わけぎはカットしないで根っこの方から茹で しんなりしてきたら葉まで沈めて 茹で加減が均一になるようにします、茹でた後は直ちに水につけて粗熱をとってからカットして 水気をよく絞ります、 アサリは酒蒸しにした後 身を取り出し 蒸し汁を少し煮詰め ヌタの仕上がりが水っぽくならないようにします。
 後は 昆布出の素・パック入りの酢味噌で和えるだけ、 小皿にちょこっと などといわず 丼にガッツリ盛って わけぎのヌタ丼、或いは鯵の酢締めをたっぷり刻み込んで膾に。
 
 桜の季節は わけぎの出盛り、地方のイベントなんかで ひと束いくらで売ってるのを見たら ありったけ買って来て ヌタやネギキムチ(じゃがいもと 鍋に入り切らないくらいのネギだけで頂きます)にして楽しんでいますが 何と言っても この時期は潮干狩りの季節、行けない方はスーパーのパックを使って作るヌタは絶品、他に冷蔵庫にイカのげそなんぞがあれば 茹でて追加すれば至福。
 
 染井吉野は散り際が好きなのですが と 言うよりも花びらの中で飲む酒が好きなんですが この季節には何十年も前の 密かに自身に恥ずる思い出があります、 一高の寮歌に「ああ 玉杯に花受けて・・・」という一節 があるのですが 初めてこの歌を知った時 玉杯が何かも知らず 桜の下で花見をし 酔って将来を語りながら 放歌する学生を思い浮かべました・・・・・・ あ~恥ずかしい。
 ところで 彼の国 戦後ず~っと臨戦態勢のままとは言っても 文化と民度のない国は悲しいものです。 
   一番恥ずかしいことは 自分が気がついていないことなんですがね  
                  そして ある日  いきなりショック・・・・・・
                                      楽しみですこと   
 
 
 
  

蓼食う虫-111

見かけの悪さは 味の良さ
 
 
 花粉症とインフルエンザの季節になりましたが この時期の女性の一段と美しいこと!、 ”目病み男に風邪引き女” なんてことが 昔から言われてきましたが マスクをかけた普段とは違う美しさに ハッとする自分にうろたえてしまうくらいです。
 暖かくなって 服装も艶やかになり 周りが美人だらけなんて ウキウキの極みじゃありませんか、なんでも イスラムの教によると 死んだ後は天国で美女と酒に囲まれて暮らせるそうなんですが その代わり この世では 禁酒の上 1日に5回も祈りを捧げなければいけないそうですから スボラな私には全部揃ったこの世で十分 酒盃を片手に花見三昧に なんの不足がありましょうや。
 
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  酢締め   皮をはいで塩を振り 酢で締めます。
       厚くて骨の硬いところは3枚におろし 繊維に沿って刺し身に、
                      薄くて軟骨を楽しむところは  骨に直角に5mm程度に切り分けます。 
 
 煮付け   適当にぶつ切りにして 味噌・生姜を加えて好みに味付け、私は多少ピ
                     リ辛に仕上げて お酒のつまみにするのが好みですが 冷えると煮凝りで
                     一塊になるので 扇風機で強制的に冷やしながら くっつかないように程
                    よく混ぜ 切り分けた形を維持するのがコツです。
 
 このあたりでは あまり好まれない魚なので お店には出回っておらず 自分で釣らなくてはいけません、写真の切り身は 大きな座布団くらいのを一匹手に入れ 下処理したものを冷凍して楽しんでいますが 新鮮なのを刺し身にすると癖がなくて とても美味しく 特に酒のツマミにはもってこい、 なんですが やっぱり器量の悪いのが損をしてるんでしょうかね、黙って出すと喜ぶ人も エイだというと ギョッとするんで。   
        
 マスクの女性が美しいと言ったら 不細工なとこは隠せと言うん ? ・・・・
なんて声が聞こえてきそうですが そんな あなた 最近不細工な女性をほとんど見かけなくなったと思いません?。
 特に目元の綺麗さが全体を引き立てていると思うのは 私だけかしらん、それとも 経済の発展で栄養が向上してのびのびと育ったから?、社会の制約が取れてファッションの多様化で鮮やかに着飾っているせい?、交通網の発達で人の流動性が高まり遺伝子が多様化したのが原因?。
 いずれにしても 美人は七難を隠すと言うじゃありませんか 見た目は大事ですよね。
  私? もちろん 不細工なのや臭いのを見かけると 吸い寄せられるタイプ。 
だけど シュールストレミングはいけませんね、 腐った玉ねぎの匂いはともかく 旨味がない。
      やっぱり 中身は伴わないとね。   
 
 
 

蓼食う虫-110

人の食い気の共通点
 
洋の東西
 
 約一万年前に かつて北米を闊歩していた大型動物の サーベルタイガー・マンモス・メガテリウムなどが 突然滅ぶという異常事態が起こっています、その原因はなんと人類の食い意地が原因だったことがわかり始めてきました。
 同じ頃トルコのギョペクリ・テペでは大麦の品種改良と栽培が飛躍的進歩を遂げ メソポタミア地方の重要作物として成長を遂げ始めましたが これがなんと お酒を作ることが目的で始まった品種改良だったことがわかっています。
 人類がこれほど増殖した最大の原因は 雑食で食い意地が張っていたからじゃなかろうかと思のは 私だけかしらん。
 
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焼きネギ(カルカッソ)
 
 ネギはもちろん王様の下仁田、これをグリルで焼くだけ、焼いたネギは一皮剥いたら そのままかぶりつきましょう 甘くて美味しいですよ。
 甘みの強い白いネギをこれほど長く育てるのは 土をかぶせながらの多大な労力と時間をを要しますが これも食い意地の賜物、ネギは日持ちするので 店では結構長く置くようですが 焼きネギにするのは出荷直後のものでないと 固くなって美味しくないので これが最大のポイントです。
 この労力を要するネギは 日本人の感性が産んだ独特のものかと思ったら スペインではバーベキューで豪快に焼いたネギを食べる ネギ(カルカッソ)祭りなるものが有り 最近は日本のアチコチのイベントで取り上げられるようになったのにはびっくり。
 人間の食い意地のせいで 世界中で絶滅危惧種が増えていますが とんでもない身近に一つ 田舎でフォルクローレを楽しんでいますが これが おじさんバンド、若い人は子育てで時間が足りない、リタイヤ組では10年先にケーナが演奏できる頃には死んじゃってます(笑)。
     環境庁殿へ  緊急事態 
                  我がバンドも絶滅危惧種  
 
   

みちくさ-8

弥生から古墳時代へ 
 
 邪馬台国を 290年に書かれた 魏誌倭人伝で探すと 記された里程からは 九州の筑後平野あたりとなりますが 440年に作成された後漢書の記述では奈良になりますので
考古学上の証拠をさがしてさまよった所 3世紀中頃 丁度魏志倭人伝の時代を堺に 大きな変化が有ることがわかりました。
 他にも 日本書紀は中国語で書かれた後 和漢分で修正されていますが この修正部分には 推理小説より面白い秘密がいっぱいあります。
 例えば 神功皇后の時代 崇神朝は一度途絶えています、600年前後には皇位継承者が次々と暗殺されている他 天皇の暗殺までおきています、 また 天智天皇の暗殺のあとは弘文天皇がクーデターで殺され 首謀者の天武天皇の血統は京都にある皇室の菩提寺には祭られていません。
 このあたりは ちょっと調べれば素人でも推理に参加することができるので 暇つぶしにはもってこいですが 余分な種明かしで推理を台無しにしてはいけませんから 考古学上の資料だけを添付しておきます。
 
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(’18.09.05 更新  A-4 2ページ ) 
 
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